大判例

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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和31年(わ)129号 判決

本籍 尼崎市杭瀬字道場免七番地

住居 同市今福字満上六十五番地

神戸刑務所尼崎拘置支所傭人 (自動車運転手)(休職中) 野原春治

大正二年三月十一日生

右の者に対する横領被告事件につき、当裁判所は、検察官沖中益太、同中岡保出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、「被告人は昭和三十一年五月二日午後三時前後ごろ尼崎市難波新町二丁目百六十番地神戸地方裁判所尼崎支部構内北側空地において、角間祥憲(満十歳)から同日同構内において日高良雄が遺失し右角間祥憲が拾得した現金十万円(千円紙幣百枚一束)を警察官に提出せられたい旨の委託を受けてこれを預り保管中、そのころ尼崎市内においてほしいままに自己の用途に充当するため着服し以て横領したものである。」というにある。

よつて、当裁判所は、≪証拠の標目省略≫を綜合して次のような事実を認定した。すなわち、「昭和三十一年五月二日、尼崎市難波小学校五年生角間祥憲(昭和二十一年二月十一日生、当時満十歳。)は、同市難波南通三丁目八十五番地の自宅から同市昭和南通三丁目三十三番地の友人清島靖夫方へ遊びに行くため、同日午後三時ごろ、同市難波新町二丁目百六十番地神戸地方裁判所尼崎支部附近にさしかかつたさい、いつものように近道をするつもりで同支部敷地西北角附近の垣根の壊れたところから同支部構内空地へ入り東側の表玄関附近から構外へ出るべく右空地を通行中、たまたま右支部の当時の本館北側空地に車体前部を東に向けて駐車していた尼崎拘置支所の囚人護送用自動車(兵八―一一四五号。当日右自動車を運転して右空地に至り同所にこれを駐車させていたのが同支所勤務運転手野原春治すなわち被告人その人であつた。)の車体北側に何気なく手を触れたのであるが、そのとき、同じ側で右自動車の乗降口附近に向いそのドアの辺に手を接触させていた白い上つ張り(医師の着用するような白衣で長さは膝の辺まであるもの。)を着た成人男子を認め、祥憲にとり全く未知の相手ではあつたが、これを護送車の運転手と思い込み叱られてはいけないと考えて車体から手を離し、そのままその男の背後を通つて近くの本館東北角から本館東側空地に出たところ、右東北角から南方数米の地点に帯封を施された千円紙幣百枚一束が裸のまま落ちているのを発見しこれを拾得した。ところが同人はその札束を一見しただけでそれがこれまで手にしたこともないほどの高額であることを知つて驚愕し、それを所持すること自体に恐怖の念をさえ覚えたので、かつて兄から右自動車が囚人用護送車である関係上警官が同乗していると聞いていたところからその運転手に渡しておけば、警官に差し出してもらえるものと思い、紙幣の枚数を数えることもなく直ちに護送車の側へ引き返し、前同様そのドアの辺に接触していた右の男に対し拾得場所を指示しながら「おつちやん、あそこに落ちていた。」と告げてこれを差し出したところ、その男はこれを受け取り何事か呟きながら「有難う。」と言つて近くの本館出入口から本館内へ入つて行つたので、警官へ渡しに行つたものと考えそのまま予定どおり清島方へ赴いた。そして清島方において右靖夫およびその母敏恵に右の事実を語り、かつ靖夫と遊び興じた後、同日午後五時ごろ自宅へ帰り夕食の席上家族に右札束の拾得および交付の事実を告げ、両親から嘘をつくなと叱責されるや涙を流して泣きながらその真実であることを訴えたので、両親や兄たちも驚いてこもごも同人から詳しく事情を聞きただした末同人が神戸地方裁判所尼崎支部構内において総額約十万円の千円札束を拾得してこれを尼崎拘置支所の護送車運転手に手渡したものと判断し、祥憲の母佐多子は直ちに同人を伴い尼崎中央警察署玉江橋巡査派出所に出頭し同派出所勤務巡査佐々木昇に対し右の次第を届け出で、同巡査もまた事情を聴取した上相手方を護送車運転手であると判断し、翌々日の同月四日、祥憲、佐多子らを再度同派出所へ出頭させた上その面前で裁判所へ電話をかけて被告人に出頭を求め、かつ祥憲らに対し尼崎拘置支所の運転手が来所する旨を告げ、ほどなく右派出所内において前々日と同じ護送車を運転して来た被告人に面接させそれが札束交付の相手方と同一人であるかどうかの確認を求めたところ、被告人は当日紺の背広姿であつたけれども、祥憲は自分は札束交付の相手方の人相をよく記憶しておりその男が被告人であることに間違いないと確言した。」

当裁判所の認定した事実は以上のとおりである。そこで、次に、角間祥憲から本件札束を受け取つた成人男子が果して被告人であるかどうかを判断しなければならないが、この点につき祥憲は右の派出所における面接以来一貫して被告人こそ札束交付の相手方であると供述し、反対に、被告人は徹頭徹尾これを否認している。そうして祥憲の供述は同人が主観的に正しいと信ずるところを卒直に述べたものと認められるので、以下にその供述の客観的真実性を詳細に検討することとする。

第一に、角間祥憲は前示のとおり相手方の容貌、人相を正確に記憶していると供述するが、本件のように相手方が初対面の人物である場合、これをその容貌により後日誤りなく識別し得るためにはその対面のさい十分の注意力を働かせて相手の容貌を観察し、その正しく知覚したところを脳裡に銘記し、さらにこれを確実に把持し、かつ想起し得ることが必要であろうが、本件当日の祥憲において右の要件は十分に満たされていたであろうか。同人が初に護送車の横を東進しながら相手を見たときは相手は専ら護送車に直面してそのドアの辺に手を接触させていたのであるからその人相を正面から観察する機会はなかつた筈である。しかもそのさいは平生通いなれた通路を友人宅へ遊びに行くために通行していたのであるから周囲の状況、ことに相手方の存在に格別注意していたとは考えられない。そうして至近距離に至つてようやく相手方の存在、行動に意を用いこれを側面から瞥見したものの直ちにその後方を通つて前進を続けたのであるから、結局相手方の人相に対する知覚はその右側方から瞥見し得たところにとどまり、それによつて同人が後日相手方を識別するに足りる程度にその容貌を記憶し得たかどうかは甚だ疑問である。なお、このさい相手方が祥憲の接近に気付き同人の方に顔を向けて同人に注目したとしても、それによつてその男が従前の動作を中断したということは本件各証拠に徴し認められないのであるから、その対面は一瞬の間にすぎないであろうし、それによつても祥憲が初対面の行きずりの男の容貌を正確に把握し得たかどうかは疑わしい上、その男が祥憲の方へ顔を向けたということ自体証拠上これを認めるに困難である。

それでは同人が札束拾得後相手方と面接したときはどうであろうか。このときはまさしく相手方と直面し簡単ながら言葉まで交しているのであるから、冷静にかつ注意深く観察しておれば相手の容貌を十分記憶し得たであろうが、右に認定したとおり、短時間の面接であるのみでなく、拾得金員の高額であることに驚愕し恐怖の念にさえ襲われて直ちに近くに居合せた相手方のもとに赴いたのであるから、異様な興奮状態のまま面接しているのであつて、それが精神年齢の未発達な児童であるだけにその観察自体不正確なものがないとは断言できないであろう。さらに、同人が札束を手渡した後直ちには親にも告げず派出所へも届けず漫然友人宅へ遊びに行つていることからも察せられるように、同人としては札束を相手方に手渡すことによつて興奮、緊張から解放され、後日刑事事件として問題にされるとも思わず、その意味において事の重大性を意識していなかつたもので、従つて相手の容貌、人相を認識しようという努力のなされた形跡も認められないのであるから、この際の人相に対する記憶もまた正確に相手方を識別するに足りるものであるかどうか、疑問の余地があり得るのである。(鑑定人横瀬善正作成の鑑定書および証人横瀬善正の当公廷における供述。)

それでは同人が五月四日玉江橋巡査派出所において被告人と面接したさい直ちにその人相のみからこれを札束交付の相手方であると断定したのは何故であろうか。満十歳ごろの児童は一般的に言えば直接記憶が優れていると言われるので、右のような悪条件にもかかわらず相手方の人相を正確に記憶し、その記憶に基いて相手方を識別し得たのかも知れないが、また同時に、被暗示性の強い年頃であるだけに、正確な記憶がないのにもかかわらず他人からの影響の下にかような断定をしたのかも知れない。というのは、同人は初に相手方を見たさいその位置、服装、動作からこれを護送車の運転手であると考えたのであろうが、もちろん相手が護送車の内部にいたのを見たのではなく、いわんや護送車を運転しているのを見たのでもないのであるから所詮同人の推測にすぎないのであるが、あとで同人から事情を聞いた両親や佐々木巡査がいずれも同人同様これを拘置支所勤務の運転手であると判断しその旨を同人に告げたことは、それが児童にとつて権威的存在である親や警察官の意見であるだけに児童の心理に及ぼす影響は極めて大きく、同人がその相手方を護送車運転手なりと確信するに至つたことは、容易に想像し得るところである。かような状況の下に五月四日のいわゆる面割りが行われたのであるが、そのさい同人は拘置支所の護送車運転手と対面させられるべきことを、予告されていたのである。そうして被告人は五月二日と同じ自動車を運転して同人の前に現われた。しかも場所は派出所という特異な場所であり、立会人は右に説明したような母親と佐々木巡査らである。かような環境の下において、平凡な(証人中村照子、同春名一之の当公廷における各供述および右両名の司法巡査に対する各供述調書。)満十歳の児童が相手方と被告人との同一性を正確に識別するに足りる記憶がないのに両者を同一人であると信じ込み、しかも五月二日の裁判所構内における認識のみに基いてこれを識別し得たとの錯覚に陥るということも考えられないことではない。派出所における同人の断定もかような事情に基くものかも知れないのである。のみならず、右の派出所における綿密な観察により被告人の人相は祥憲の脳裡に強く焼きつけられたことであろうから、それ以前に同人が相手方の人相につき説明をしていないのに、以後詳細に人相を供述するとともに数次にわたるいわゆる面割りで正確に被告人を識別してきたのも右派出所における観察に基くものではないかとの疑を禁じ得ず、従つて、この点に関する同人の供述の証明力についてもまた疑問の余地なしとは断じ難いのである。(前段掲記の鑑定書および証言。)

第二に、角間祥憲は相手方が白い上つ張りを着用して護送車のドアの辺を磨いていた(または、拭いていた、掃除していた)と供述している。被告人が当日護送車を運転し前示裁判所構内北側空地に駐車していたことは既に認定したとおりである上、証人小南勝次郎の証言によれば、被告人が当日右認定どおりの白い上つ張りを着用していたこと、護送車の駐車中それを看守するのが被告人の職務であるとともに附随業務として右の白衣のまま車体を掃除することもあることが認められるので、祥憲の右供述からその男が被告人ではないかとの嫌疑は十分に生じ得るのである。ところが、被告人は、自分は当日右の上つ張りを着用していたけれども、裁判所構内へ白衣を着用して立ち入る者は他にも存在するし、また自分が護送車から離れている間に煙草を車内へ投入しに来る者がしばしばあるから、祥憲がその相手方を運転手であると誤認したのではないかと主張する。そうして、証人小南勝次郎の当公廷における供述によれば、裁判所構内に駐車中の護送車を看守することは被告人の本務であるが、同時に拘置支所と裁判所、検察庁との間における起訴状謄本、召喚状、釈放指揮書などの書類の逓付も慣例として被告人の職務とされており、そのために例外的ではあるが被告人がしばしば護送車の側を離れること、および、被護送者の家族や友人たちが被護送者に煙草を入手させるため護送車の周辺をうろつき看守者の不在に乗じてしばしば駐車中の空車内へ煙草を投入することが認められ、また、同証人および証人真田久雄の当公廷における供述によれば、白い上つ張りを着用して裁判所構内空地へ立ち入る者が被告人に限らないことが認められる。のみならず、巡査岡本俊雄作成の「野原春治に関する捜査復命」と題する書面によれば、被告人が本件当日尼崎区検察庁に赴き同庁事務官から釈放指揮書五人分、起訴通知書十人分を受け取つていることが認められ、かつ、さきに認定したような白い上つ張りを着用する者が医師、飲食店業者、理容師等世上その例に乏しくないことは公知の事実である。そうすると、それらの者が被告人の不在中に護送車に近づき手を乗降口のドアの辺に接触させて、煙草投入の機を窺い、あるいは投入後の状況を確めていたというような場合、それを運転手が車体を磨いているものと誤認する可能性がないとは言えない。すでに述べたように札束拾得前はほとんど無関心、拾得後は異常な興奮という状況下にあつて短時間眺めた相手方の挙動を、それがドアの辺に接触させた手を動かしていたという程度以上に運転手の清拭作業であるとまで判別し得るかどうかについては疑問の余地がないとは言えない。もつとも、角間祥憲の司法警察員に対する昭和三十一年六月十九日付、同月二十九日付各供述調書には同人の供述として相手方が布切れを使つて磨いていたとの旨の記載があり、また同人の検察官に対する第一回供述調書にも同人の供述としてきれで拭いていたとの旨の記載があるので、それが真実であるならば運転手の清拭行為と認めることができようが、他の供述部分と対照するとき、とくに、右供述日時の遅いことから、それが同人の五月二日における認識に基くものでなく、捜査官または家族たちから繰返し詳細な質問を受けて応答を重ねているうちに頭初の記憶を変容させてかような供述をしたのではないかとの疑を否定し切れない。

要するに、白衣を着て護送車を磨いていたという供述からも直ちにそれが必ず被告人であることに間違いないとは断定し難いのである。

最後に、角間祥憲はそのほか相手方の特徴として体型、年齢などについても供述しているが、これらはいずれも相手方を識別するに足りるものとは認め難い。また、証人佐々木昇は当公廷において祥憲が「相手方は帽子をかぶりそれに警察のような帽章がついていた。」との旨を述べたと供述し巡査部長田中要作成の「現金拾得少年の調査結果報告」と題する書面にも祥憲が「相手方は制帽をかぶつていた。」との旨の供述をしたとの記載があるが、これらは本件各証拠に徴しいずれも措信することができない。

結局、本件札束交付の相手方が被告人であるという角間祥憲の供述に対する当裁判所の判断は以上のとおりであつて、その証明力は必ずしも十分とは言い難く、さらに当裁判所が法廷において取り調べた全証拠を検討してみても、右の供述を裏付け相手方と被告人との同一性を認定するに足りる証拠があるとは考えられない。かような事実が証明されない以上、罪体についての判断をまつまでもなく、本件公訴事実はこれを認めるに足りる犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 守安清)

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